なぜここに看板が?河内長野駅前から東高野街道方面を歩いた時に視線に入った古びた看板を見て驚きました。なぜならば、看板には「楽しいショッピングのまち長野商店街」と書いてあったのです。



東高野街道は、京都の石清水八幡宮方面から主に旧河内国を南下するように続いている道です。富田林市内を縦断した後、河内長野に入り、駅前で西高野街道と合流します。駅近くの合流する直前の道沿いにも、歴史を感じる建物が残っていたりします。

そして、ちょうど南海と近鉄の高架橋を潜って東高野街道は菊水町に向かうのですが、その直前で冒頭の「長野商店街」の看板を見つけたのです。

長野商店街といえば、駅前にアーケードがあり、途中から西方向、七つ辻まで続いているレトロな商店街、定期的いろんなイベントをしているイメージがあります。にも関わらず、それらとはまったく違う駅の東側に「楽しいショッピングのまち長野商店街」の看板が。これは一体、どういうことでしょう?

現在残っている長野商店街は、本来は西商栄通りという商店街の一部であると大阪府商店街魅力発見ガイド(外部リンク)にも記載があります。



こちらは長野商店街の中にある賑わいプラ座ですが、その前がサンプラザ(山口屋)。さらにその前が映画館だったということは有名です。消えた映画館の記憶(外部リンク)によれば、ここは聚楽館もしくは長野聚楽館と呼ばれる映画館があったそうです。住所は大阪府河内長野市本町11-8です。

そして近くにもうひとつ大阪府河内長野市本町20-37に長野東映劇場/長野劇場という映画館があったとの記述を見つけました。1983(昭和58)年ごろまで河内長野最後の映画館として存在していたそうです。

実はその長野劇場跡地の住所が示す場所の近くに、最初に見つけた看板があったのです。



これらのことをまとめると、西商栄通りの東側にもかつて長野商店街が存在していた証と考えられます。

とても気になった私は、かつての長野商店街跡地を歩いてみました。

なお今回は情報収集を強化したため複数回歩いているので、画像の空の明るさなどに違いがあることを予めご了承ください。



セブンイレブンからの道です。右側は駐車場ですが、左を見るとお店のテントが見えます。

藤井金網店の表記があります。

そして通り過ぎた時に振り返るとこのようになっています。金物店の前にはピンクのテント見えます。こういうところに商店街の名残を感じます。



さらに歩いていくと

キャンデーストアーかくれんぼさんのテントがあります。

さらに歩いて行きます。今はほぼ住宅地になっています。

また、かつてお店屋さんがあったかなと思わせる看板も見つけました。たこ焼きやおでんが食べられたお店がこの辺りにあったのですね。



さて、画像左手に見える建物が映画館を取り壊して建てられた集合住宅なのだそうです。ただし映画館跡地サイトが情報としている住所「本町20-37」では無いのですが、すぐ近くです。いずれにせよこの辺りにかつて長野劇場と呼ばれ映画館があったものと推測されます。

そして地蔵堂があるのですが、道が右側に分かれています。右側の建物も元々店舗だった形跡がありますね。

右手に地蔵堂があります。そしてまっすぐ行けば極楽寺、河内錦渓大仏の方に行けます。

ここで右に曲がると、かろうじて長野商店街であった証といえる看板が見えてきます。

「長野商店街」との記載がある看板です。かつてはここまで長野商店街があったと考えられます。



そして看板を抜けると、提灯店などの店舗があります。ということで、かつて長野商店街だったと思われる通りを歩いてみました。ほとんど店舗は残っていませんが、名残を感じる場所があり昭和の歴史に思いをはせることができました。

東側の長野商店街跡地
住所:大阪府河内長野市本町
アクセス:南海・近鉄河内長野駅から徒歩5分程度

